15世紀当時のヨーロッパ船は全長約20メートル、船幅は約7メートルほどで150トンくらいのサイズの帆船であった。
乗組員は約60人ほどでこれが3隻ほどの船団を組んで航海したのである。
一回の航海分につき3か月分の食料、水が積み込まれたが、その実情はどうだったろうか?
まず食糧の内訳は、塩漬けの肉、塩漬けの魚、ビスケット、乾燥した豆、チーズ、たまねぎ、ぶどう酒、酢、水などであるが、
航海に出ると新鮮な野菜、果物の類はわずか数日で消費されてしまい、
後は保存のきく塩づけの肉類、ビスケットだけに頼るしかなくなってくる。
しかし、何週間もするとビスケットはすっぱくなり、コクゾウ虫がわんさか集るようになる。
やがて、塩漬けの肉類にも、ウジが湧き始めて、どろどろで始末の終えぬ不気味なものになる。
水は黄色く悪臭を帯び始め、口に出来るものと言えば、ネズミが食い散らかした粉々のビスケットだけになるのである。
生活環境もでたらめなもので船底は水びたしで、ゴキブリ、ネズミはそこらじゅうに群がっていた。
寝る場所は船長以外定まっておらず、甲板の好き勝手な場所で寝ている状態だった。
ノミや虱にたかられて、数日間、濡れ鼠状態になることも珍しくなかった。
こういう環境の中で、乗組員は熱病やいろいろな病気に悩まされた。中でも、壊血病は恐ろしい病気だった。
ある船乗りの日誌の中には、壊血病の身の毛のよだつような内容が記録されている。
「俺の歯茎はすっかり腐ってしまった。真っ黒な腐った血が流れ出ている。
太ももは壊疽を起こしていて、俺はナイフでこの腐った肉を削り取って、どす黒い血を無理やり流しだす。
土気色になった歯茎もナイフで削り、腐った血をしぼり出す。俺は小便で口をゆすぎ、強くこする。
ものを噛めないので、飲み込むしかない。毎日この病気で仲間が次々と死んでゆく。
包みや戸棚の裏でいつの間にか死んでいて、発見された時は目や指はネズミにかじり取られてなくなっている・・・・。」
ビタミンCの欠乏で起るこの病気は、当時原因がわからずそのために多くの死者を出した。
この病気で4人に一人の割で死んでいった。
バスコ・ダ・ガマは170人の乗組員で出発したが、壊血病で多くが死んでしまい、航海を終えてリスボンに帰ってきた時は44人だった。
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