言語の恣意性という概念

2010年10月2日土曜日 ·

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言語の恣意性という概念がある。
各単語はそれぞれの言語において恣意的に当てはめられたものであり、発音と意味とに普遍的な対応性、あるいは言葉としての必然性はないという考えである。
たとえば、日本語では海は「うみ」だし、英語では「sea」である。
「うみ」と「sea」の間には発音上の関連性は見いだせない。
基本的には語彙の輸入の場合(日本が英語の言葉をカタカナ語として取り入れるようなもの)を除いて全ての言語のすべての単語でこのようになっていると考えられている。
しかし、例外がないわけではない。
たとえば親を示す言葉。英語では父親が「papa」で、日本語では母親は「はは」である。
「は」は昔は「パ」として発音されていたので母親は「パパ」と発音する。
これは幼児にとって発音しやすい音が「p,m」などであるからと考えられている。また、発音しやすい母音は「a」である。言葉を覚える際、最初に学習するのは親の呼び名だからである。
従って、父親、母親を表す語にはある程度の必然性があると考えられている。


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