同級生の親から障害者の親への手紙

2010年1月12日火曜日 ·

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平成13年12月21日
Aくんのご両親へ
前略
こういう手紙を匿名で書くのは卑怯なことだとは承知していますが、学校
宛に統合教育の支援団体から抗議があったことを聞き及び、万が一にもそ
うした所から攻撃のターゲットにされることは避けたいため、不本意なが
らこちらの名は伏せさせて頂きます。
私はB中1年D組の生徒の母親の一人です。
12月17日に保護者会があったことはご承知だと思います。もしかす
ると既に他のお母さんから何らかの話を聞いているかもしれませんが、ク
ラスの半数の母親が集まったその日、教室懇談会の大半、またその後先生
が立ち去ってからしばらくも、Aくんに関する『問題』で話し合っていま
した。
私の子供は小学校でもご一緒したことがあり、その時には(先生は非常
に大変そうだとは感じ、Aくんにとって学校の勉強は全く意味を成してい
ないなとは思ったものの)、それほど抵抗は感じていませんでした。まだ
授業も半分お遊びのようだったし、自分の子や他の子供たちも本当に「子
供」であったし、その時点で障害児と触れ合う経験を持つことは、自分の
子供にとってもマイナスよりプラスになる面が大きいかもしれない、と思
えたからです。
しかし、子供たちはもう中学生です。最近の他の子たちをじっくり眺め
てみたことがありますか?年齢は同じでも今でも幼児のようなAくんと違
い、ほとんどの子は半分大人の顔をして、体型は母親たちをどんどん追い
越していっています。受験を意識した勉強やクラブ活動に大忙しで、友達
関係や恋愛にも悩み、多くの子が自分のことだけでも手一杯になっていま
す。以前のように単純・素直に誰でも受け入れるということもできなく
なっているのです。
子供たち自身何かとピリピリすることが多い年頃ですが、母親たちに
とってもまたいじめや非行など、これまで以上に心配の種も増える年齢で
す。公立中学では来年度からのカリキュラム改正で評価方法も変わり、そ
れに伴って受験のシステムにも変更があると思われるので、こと勉強の面
ではピリピリしています。Aくんの存在が、1年D組(だけではないので
すが)の授業にはっきりと支障をきたしていると聞いては、黙っているこ
とはできません。
はっきり申し上げると、私たちは今の状態のまま、自分の子供たちの勉
強の場にAくんを放置しておくことには、承服できません。母親たちそれ
ぞれで、この件に関する考え方に違いはあります。しかし一つ、全員共通
していることもあります。それは「自分の子供の不利益があるようでは困
る」ということです。一般論として障害児を差別したい気持ちはなくて
も、また統合教育に反対したい気持ちはなくても、Aくんの存在が自分の
子供にとってなんらかのプラスになろうとも、「勉強の邪魔」という明ら
かなマイナスがある以上、それを良しとすることはできないのです。
AさんがAくんを学校へ行かせる時に望んでいるのは、「とにかくそこ
にいること」だけなのかもしれませんが、私たちの子どもたちが「将来必
要な知識を学んでくること」も大きな目的として、学校へ送り出している
のです。Aくんとの触れ合いも広い意味での『学習』であることは認めま
すが、「狭義の意味での『勉強』を犠牲にしてまで」やらせたい気持ちで
はありません。
17日の懇談会では、担任のE先生の予想以上の疲労度に、多くの母親
たちが驚いていました。責任感の強い先生なので、担任として、また1年
生の学年主任として、Aくんのことも最終的な部分では全部一人で責任を
負って引き受け、他の1年生全員のことも気を配り、野球部の顧問として
も相変わらず夕方暗くなるまで生徒と共にグラウンドに立ち、勉強面でも
手作りのプリントを数多く作るなど全く手を抜かず、という状態なので当
然といえば当然です。でも明らかに疲れた顔をして愚痴も多くなり、また
怒りっぽくもなっているようなその姿に、私たち母親は先生に対して非常
に同情を感じると共に、「先生がこういう状態では、色々な形で間接的に
子供たちにも悪影響が及ぶ」という危機感を持ちました。先生自身も恐れ
ていると言い、私も特に恐いと思ったのは、他の子がケアを必要とする状
況になったときに先生たちの目と手が行き届かなくなる、ということで
す。1年D組には不登校になっている子もいるというのに、Aくんの問題
の陰に隠れて話題にすら上りませんでした。自分の子がそんなことになっ
たら、と考えるととても恐ろしいことです。
同時に、先生がそんな状態になっている大きな原因の一つは、Aさんが
あくまでも普通学級にとこだわるあまり、Aくんを一方的に学校に預け、
放置するかのような態度を取っていることにあると悟って、私たちがAさ
んに対して強い反感を抱いたということもお伝えしなければなりません。

母親たちの中には、「事を荒立てる」ことにかなりの抵抗感があるかのよ
うな人もいます。また、Aくんだけでも充分大変すぎると思えるのに、下
により重度の障害があるお子さんがいるらしいと聞き、そのような境遇の
人を追いつめるようなことをするのは心苦しい、と感じる人もいます。で
すから、すぐに大きな運動に発展することはないかもしれません。しかし
「現状が問題である」ことはその場にいた全員が認識・確認し合いました
し、Aさんのやっていることに少なからぬ疑問(何故そこまで普通学級に
こだわるのか?普通学級に無理矢理いさせられるのは、Aくん自身にとっ
てもストレスになるだけで、何のケアも訓練も受けられない分マイナスで
はないのか?)及び反感(自分の主義のためなら他の子供たち、教師たち
の迷惑は一切構わないというのか?Aくん自身をも犠牲にする気なの
か?)を持ったことも事実です。
「Aくんがこのまま普通学級にいて将来どうなろうと、親の考えでやっ
ているのだから別に構わない。ただ2年・3年になってうちの子と一緒に
さえならなきゃね。」という発言をした母親がいました。失笑を買う意見
ではあるものの、実はみんなの『本音』を代弁した言葉だと思っていま
す。一般論として、建前としての統合教育はやってもやらなくても構わな
い。でもうちの子がそのせいでとばっちりを食うのだけはごめんだ、とい
うものです。Aさんだってそうでしょうが、結局のところ誰だって「自分
の子のことが最優先」なのです。ですから言い方を変えれば、「自分の子
がとばっちりを食うようなら、建前はどうでも、『Aくん排除運動』も辞
さない」ということでもあるのです。(実際17日には、教育委員会に直
訴しに行こうか、という話し合いまでしました。)
個人的には「そろそろ限界を悟って、C中に移られたらどうですか?」
と思っています。
Aくんは実際かわいくて愛嬌があるから、普通学級の中でもまだ構ってい
る子はそれなりにいますけれども、(当然例外はいるでしょうが)ほとん
どの子にとってそれは「対等な仲間」としてではなく、「教室でペットを
飼っている」感覚でしかありません。自分の気まぐれで呼び寄せて、Aく
んが戸惑う結果となろうとも飽きれば放っぽる、というような構い方に
なっているようです。私の子の場合は努めて無視しているそうです。「下
手に相手をすると、まとわりついてきてウザイ」という理由です。
もちろん中にはAくんと教室で触れ合ったことをきっかけに、障害者へ
の理解を深め、福祉の道を志すような子が出ないとも限りません。しかし
小学校時代はまだしも、中学生の現在は多くの子にとってプラスが多いと
は思えません。私の子のように、逆にマイナスの感情が育っているケース
もあります。実際私の子は、小学校のときには授業中のAくんの行動や突
然の発言を面白がっていた面もありましたが、今ははっきり「嫌だ」と言
います。Aくんへの理解は以前より進んでいるでしょうが、だからこそ
「関わりたくない」という思いを強くしています。いっそ大学生くらいの
年齢になれば再び余裕も出て、再度自発的に障害者と接触しようとする子
も少なからず出るかと思いますが、今の段階で他人のことを相手の身に
なってやってあげられる子は少ないでしょう。他の子だって、小学校の時
にはさまざまな折に先生から「Aくんを見ててあげてね」と言われれば、
素直にそれに従った場面が多かったと思いますが、中学生では「何で自分
がそんなことしなくちゃならないんだ」という反応になってしまします。
先生たちに余裕の無い現体制では改善される望みも無く、結果「先生が努
めて他の子からAくんを隔離し、自分の身を削って面倒を見る」ことに
なってしまうのです。

そういう状態が、ご両親の望んでいる教室の姿なんでしょうか?
学校側がどれだけ説得をしても、他の母親たちがどれだけ団結して抗議行
動を起こしても、その結果として教育委員会から何らかの形で動いても、
結局のところAさんが残ると主張すれば、AくんがB中から強制排除され
ることはないでしょう。
でも他の子供たちの年齢とそれによる変化、また母親たちの持つ感情に
ついては、もう一度よく認識し、そして考えて下さい。そちらも「自分た
ちのことをもっと理解してほしい」と思っていらっしゃることと思います
が、(それならそれで保護者会などに顔を出して主張すべきだとも思いま
すが)、他の子供の親の側でも同様に思っているのです。ついでに言え
ば、余計なことかもしれませんが、Aくんが学校生活をすべて終了したら
その後どうなるのか、その時に必要なことは何か、ということももっとよ
く考えてあげるべきだと思います。その上で今後のことを決めて下さい。
そしてその際には、これからもずっとご一家で地域で暮らしていくにあ
たって、今ここで地域の多くの親子を敵にまわすような姿勢を取り続ける
ことが賢明かどうかということも、よく考慮して頂たいと思います。
文中、そちらを傷つけるような部分がかなりあったであろうことは、申
し訳なく思っています。
でもこちらも子供を持つ親であり、「うちの子の利益が最優先」という
のが正直にところです。お許し下さいとは言いませんが、ご理解下さい。
TAKEDA 私見
ホームレス殺害や障がいのある同級生を暴行死させた子どもたちが、「何
で自分たちが責められるのか、わからない」「何も悪いことをしていな
い」と、人を殺してなお、なかなか反省することがないというが、大人た
ちの言動をみていると、子どもたちばかりを責められないと思う。
手紙の文中に、「今の段階で他人のことを相手の身になってやってあげら
れる子は少ないでしょう。」とある。しかし、障がい児は迷惑だとして、
排除することしか考えない大人たちのなかにあって、いつ、どこで、誰か
ら、子どもたちは、「相手の身になって」考えることを教わるだろう。
重たいものも、みんなで持てば、一人ひとりの負担は軽くてすむのに、少
しでも自分の損になることはしたくないと誰もが手を引く。他人に関わら
ない、目の前で犯罪が行われても、助けを求めるひとがいても、見て見ぬ
振りをする、荒んだ社会。そんななかで、子どもたちの精神が健全に育つ
はずもない。
いつまでも自分が強者の立場でいられるとは限らない。弱者に落とされれ
ば、人間として認められない、親からも、周囲からも愛してもらえなくな
るかもしれない。そんな不安のなかで暮らしていくのは辛くはないだろう
か。
反対にもし、自分が失敗することがあっても、できないことがあっても、
そのまま丸ごと周囲から受け入れてもらえる社会であったなら、ひとは常
に明るい未来を目指して希望をもって生きていけるだろう。
共感できない人間は、共生することもできない。これだけ物質的には豊か
な暮らしをしながら、日本人の心はなんて貧しいのだろう。


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